浄土宗神奈川教区テレホン法話 第712話
インターネツトの按続で情報は眼と耳から時間と空間を超えて一瞬のうちに入ってきます。携帯電話に映像が写し出される今日、テレホン法話は耳からだけのことですが、聞く人にとって大脳というスクリーンに写し出される情報から、より多角的多面的な思考の広がりが期待できるのではないか、そんな風にも考えられるんではないかと思っています。私の住んがいる市では、先の戦争で亡くなられた方の慰霊祭が秋に行なわれ、又慰霊旅行がサイパン、フィリピン等方面を代えて行なわれています。私がよく存じあげている方は、八十を一つ二つ過ぎていらっしゃいますが、元気で幹事役をつとめていられます。
この方は結婚後3年ばかりで、ご主人が出征され南の海で亡くなられました。一粒種のお子さんも60を越えて家業に精を出され、お孫さんも世帯を持たれて安らかな老後と、いえばいえます。しかし最近この方のお話しでは、遺族会に名を連らねている方でも、慰霊祭や行事へご案内しても、出席者がめっきり減っていると嘆かれています。戦争で亡くなられた方の奥さんは、或はもう亡くなられているか、存命されていても老齢化が進んで、ご出席も困難になっているのは分りますが、後を継がれているご遺族の方々さえ、関心が薄れているということは、世間一般の関心度がどのようなものか思い半ばに過ぎるものがあろうと存じます。この戦争に負けたらどうなるのか、祖国を信じ家族を守るという純真な気持で、苦難に耐えながら草蒸す屍、水漬く屍となった方々、特攻で体当りした戦友、平和を愛する気持と共に忘れてはならないと思います。先にお話しした方は、サイパンへの慰霊旅行を、親郎に南無阿弥陀仏をしに行くんだといわれます。年老いた妻の菩薩行といえるのではないでしょうか。戦場で散った無念の気持を風化させてはならないし、語り伝えていくことは私達のつとめではないかと思っています。