浄土宗神奈川教区テレホン法話 第735話
本年もいよいよ数日となリました。前回のお話で、お念仏をお称えする時の心構えとして、三つの心があり、その一つとして真実の心についてお話ししましたが、今日は、深心、深く信ずる心についてお話させて頂きます。
わたしたちは、様々なものを信じて生きています。それは、両親であったり、先生であったり、先輩、恋人そして自分自身を信じているという人もいるでしょう。しかし、残念なことに、信じていたものに裏切られたり、その逆に信じられていたのに裏切ってしまったということがあります。そしてそれは、だれもが経験していることでしょう。本当に信じていたものに裏切られたときの苦しみはとてもつらいものでしょう。仏教は本来、裏切るという行為は善悪でいえば悪であり、皆が善に努めなければならないと解いていますから裏切るという行為は罪になリます。しかし、善をなそうと思っても悪をなしてしまう私たちがいることも現実であります。浄士の教え、お念仏の教えでは、その様な罪深い私たちでも阿弥陀様は救いとってくれるのです。お念仏をお称えする時の心構えである、深く信じる心とは、まず第一に、自分自身のありのままの婆を信じる、つまり、無力な自分、愚かな自分、罪深い自分を知ることが大切です。そしてそれが、第二に、そんな愚かな自分でも阿弥陀様の本願である、すべての生きとし生けるものをお救いくださるというお力を深く信じることにつながって行きます。
自分は悪いことはしない、罪は作らない。自分の力だけで行きて生ける。そんな人がこの世にいるのでしょうか。多かれ少なれ、私たちは悪をなし、罪を作り、その罪悪感にさいなまれて生きています。阿弥陀様の本願はそんな、私たちでも、罪の軽さ、重さを顧みずに救いとってくださるのです。
自分自身のありのままを信じ、愚かさを知り、そして阿弥陀様の本願を深く信じる。そして、阿弥陀様は決して裏切ることがありません。
本年も残りわずか、お念仏をお称えし、新年もお念仏の中の生活をお続けください。