浄土宗神奈川教区テレホン法話 第738話
さて今を生きる私どもは全て出会うという事を毎日積み重ねてます。人との出会いだけでなく、物であったり出来事であったり景色であったり。しかし良い出会いといいますとそう簡単には巡ってきません。ある絵本作家の方が「本当に出会うというのは探し求めるという、もっと能動的なものだ」「出会った時に、その人の心が出会うことを求めていたかが問題」とおっしゃられていました。いくらそこで出会っていても、以前からその出会いを求めていなければ、それに気づかず終わってしまうんです。浄土宗をお開き下さいました法然上人が念仏のみ教えに出会われたのはまさしく、以前から求め続けておられたからなんですね。比叡山に登り苦しい修行にもめげず苦しみに苦しみ抜かれ、孤独と暑さ寒さと、湿気と飢えともう全ての苦しみと闘い救いを求めたのです。しかし救いはどこからも来ない。月日は三十年もたっております。この歳月の長さは当時の寿命を考えても驚異的です。眼から光が出る程、経典にあたる光景、救いに出会いたくとも全く出会えない苦しみは言葉ではくつせません。そして、ついに中国の善導大師の『観経疏』というお書物に導かれて阿弥陀仏の救いの教えに出会われたのであります。私どもではとうてい出会えない出会いです。いや、私どもに代わって上人は苦しまれたんですね。上人がいらっしゃらなければ私どもお念仏に出会うことなどできなかったわけです。法然上人をお慕いし、法然上人を通して、気づけないこの私でもお念仏を信じお称えできるのであります。今月25日は法然上人のお命日にあたります。その上人の恩徳をいただくには、何をさしおきましてもお念仏をお称えし相続させていただくことでございましょう。この私が今、お念仏に出会わせていただいているのであります。お念仏お称えして参りましょう。