浄土宗神奈川教区テレホン法話 第737話
さて、ここ数年26歳で亡くなられた童謡詩人、金子みすヾさんがブームであります。どの作品にもやさしさとエネルギーがあり、自分がいかにひとりよがりであるか教えてくれます。昨年の話しになりますが子供に昔話の「こぶとりじいさん」の話をしていました。正直じいさんは鬼にこぶをとってもらう、こぶをとってもらう、一方意地悪じいさんは正直じいさんのこぶをつけられて二個になってしまう。子供に、意地悪するとこうなるよと話していた矢先でした。みすヾさんの「こぶとり」という詩に出会ったのでございます。
こぶとり
正直爺さんこぶがなく、
なんだか寂しくなりました。
意地悪爺さんこぶふえて、
毎日わいわい泣いてます。
正直爺さんのお見舞だ、
わたしのこぶがついたとは、
やれやれ、ほんとにお気の毒、
も一度、一しょにまいりましょ。
山から出てきた二人づれ、
正直爺さんこぶ一つ、
意地悪爺さんこぶ一つ、
二人でにこにこ笑ってた。
感動いたしました。私は、こぶがとれた後の正直じいさんの気持ちなど考えにも及びません。自分さえよければという私どもの姿に許えてくるものがありませんか。最終行の「二人でにこにこ笑ってた」この一行に大変教えられますし、救われます。私ども何が喜びで、何が幸せなのか未だにわかっていないのかもしれません。欲はどこまでもふくれます。現状に満足しない姿は、自分の事がわかっていない証拠であります。自分を見つめれば、他人の痛みもわかってきます。誰もが苦しいながら必死である事がわかってきます。正直じいさん、一人で喜んでいる場合でなかった。自分のいたらなさに気づいたとき、喜びに出会える。お念仏のみ教えも、自分のいたらなさに気づけてこそいただける世界であります。気づく為にもただ一向に念仏であります。