浄土宗神奈川教区テレホン法話 第748話
今からおよそ800年前、浄土宗の教えを開かれた方は法然上人であります。私たちはその教えの流れを汲むものです。私は少しずつ法然上人の伝記を読むように心がけておりますが、今回は法然上人の教えに帰依した人の概要を紹介させて頂きたいとおもいます。
世の中に偉大な宗教家と呼ばれる人は多いですが、法然上人の特徴を挙げるとするならば、その教えと人柄に直接係わった人々があらゆる階層に及ぶことだとおもいます。有名な人では、皆さんは社会科の教科書等で、浄土真宗を開かれた親鸞聖人も法然上人のお弟子であることを存じている方も多いと思います。また、法然上人の伝記に『四十八巻伝』という書物があります。この本を見ますと後白河法皇、高倉天皇、後鳥羽上皇の三人の帝(みかど)、公家では『玉葉(ぎょくよう)』を書き、また法然上人に『選択集(せんちゃくしゅう)』の撰述を促した九条兼実、武家では東大寺を焼き打ちにして、大罪を犯した平重衡(たいらのしげひら)、毎年お正月に歌舞伎の演目で知られる熊谷陣屋の主人公、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)。また、ある館(やかた)に盗みに入り床下に隠れて様子を伺っていたところ、法然上人が法談をされておりました。そのお話に心打たれ改心して心を入れ替えた、盗賊の天野耳四郎(あまのみみしろう)など興味深い人物が登場いたします。また法然上人の書かれたお手紙の中に「鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事」というのがあります。この鎌倉の二位の禅尼というのは実は尼将軍といわれた北条政子であります。このようにながめていきますと、法然上人の念仏の教えが身分を越えてあらゆる人々に受け入れられたことがわかります。時代が下ると救いの対象が悪人とか、善人とかの議論があるようですが、法然上人の教えはあくまでも善人悪人の垣根をこえた人間を平等に見る往生であります。金のあるなし、知恵のあるなし、罪のあるなし、男女の別、年齢の差、そのような計らいを越えた教えなのです。