浄土宗神奈川教区テレホン法話第759話
8月も終わりに近づきました。あわただしいお盆も終わりました。
皆さんの中には、ご縁のふかい方を亡くされて初めてのお盆、すなわち新盆を迎えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
別れのつらさは、お釈迦様も人生の苦しみのひとつとしてあげておられます。
これを愛別離苦といいます。愛する者といつか別れなければならない苦しみです。
法然上人も、七十五歳の時、朝廷の怒りにふれ、四国に流されることになりました。
これが今生の別れとなるかもしれない、弟子たちは嘆き悲しみました。
しかし法然上人はこうおっしゃったのです。
たとえ同じ都に住んでいても、この世での別れはそれほど遠いことではない。
たとえこの世で離ればなれになっても、浄土ではきっと会えると。
そして、法然上人はこんなおうたをお詠みになりました。
つゆの身は ここかしこにて 消ゆるとも
こころはおなじ 蓮のうてなぞ
お念仏を称えれば、阿弥陀さまは最期の時に必ず迎えに来て下さいます。
そこでまた、別れた方々と巡り会うことが出来ます。
つまり、いまこの世で別れたとしても、必ずまた会うことができるのです。
阿弥陀さまの蓮のうてなの上で再会できるのです。
そして阿弥陀さまのみ光を受けるのです。
お念仏を称える人たちに阿弥陀さまは分け隔てなく、いつくしみの光を注いで下さいます。
この世での別れは確かにつらく悲しいこと。
しかしお念仏をとなえれば、いつかまた一緒になれるのです。