浄土宗神奈川教区テレホン法話 第760話
9月に入り、だいぶ過し易い季節になってまいりました。8月のお盆も終わり、今月はお彼岸がございます。ご先祖を偲び、お墓参りに家族でお出かけになる予定の方も多いと思います。ご先祖様のお墓を掃除し、お線香を上げ、お墓の前で南無阿弥陀仏と声に出してお唱えしましょう。 その時に私達は両方の手を合わせます。両手のしわとしわを合わせて幸せ。そんなキャッチフレーズにもあるように、私達はご先祖様を想う時、自然と両手を合わせます。仏様の前やお墓の前で両手を合わせるこの仕草を合掌といいます。葬儀や法要、そしてお墓参りの時にもこの合掌は欠かせねいものです。
そんな合掌はインドにその起源があリます。インドでは挨拶の時にもこの合掌を用います。さすが仏教国と思わせる程、日常の中に合掌が取り入れられています。
この合掌を仏教的に説明すると、右手は清らかなる如来であり、左手は汚れた私達自身といえます。両方の手を合わせる事により、清らかなる如来と汚れた自分とが一つになる事ができ、そこに心の落ち着いた無の状態が生まれるのです。
仏様やお墓の前で心も落ち着かせ、自分自身を無の状熊にしてこそ、全身全霊をもって仏様やご先祖様への供養の心を表す事ができるのです。これこそが合掌の意味するところだと言われています。
手は合掌し、口では南無阿弥陀仏と唱える事により、ご先祖様ヘのご供養の気持ちを表すのはもとより、この迷いに満ちた世界からあなた自身が悟りの世界すなわち極楽浄士ヘ往生する事ができるのです。