浄土宗神奈川教区テレホン法話 第781話
4月となりますと関東では芝の増上寺、関西では知恩院や各大本山で、浄土宗をお開き下さいました法然上人の御忌の法要が厳かな中でつとめられます。法然上人の忌日の法要であります。
もっとも、ご命日は建暦2年正月25日でございますが、明治時代より知恩院が4月より始め、各本山もこれにならうことになりました。そのため、陽気も良く本山の御忌には多くの方々がお参りなさり、上人のご遺徳をいただける、有難いおつとめになっております。
さて、法然上人はお亡くなりになる寸前まで、ひとえにお念仏のみ教えをお説き下さいました。
いつか上人が、「ああ今生においてこそ極楽浄土を遂げたいものだ」とおっしゃっていたのを、お弟子の乗願房様という方が「お師僧様でさえも往生が不確からしくおっしゃるならば、それ以上の私どもはどうしたらいいでしょう」と申されたのです。そうしますと、上人、「誠に浄土に生まれて蓮の台に乗るまでは、どうしてこの思いが止む時がありましょう。いやいや極楽浄土を遂げたいといつでも思っていることですぞ」とおったというのです。
このお話しは、浄土宗のみ教えの肝心な所があるように思います。
私どもにとりまして大切な事は、とりもなおさずお念仏をお称えする事であり、常に忘れる事なく阿弥陀様を思う事なのであります。これをお念仏の相続といいます。毎日、お念仏を相続してこそ、念仏を生かしての過ごし方、考え方生き方もできるのですね。お念仏はいただいたその時から臨終までお称えしていくものです。そのうけとりが大切です。
ご臨終2日前にお示しいただいた一枚起請文の一言、「ただ一向に念仏すべし」とはまさしくその事であります。
どうぞ豊年上人のみ教えを正しくうけとらせていただき、ともども蓮の台に乗るまではの思いでお念仏をお称えして参りましょう。
南無阿弥陀佛。