浄土宗神奈川教区テレホン法話 第782話
横綱貴乃花が引退し、モンゴルの朝青龍が横綱になり、大相撲も世代交代の時代を迎えたようであります。
私はテレビの相撲中継が好きなのですが、つくづく思いますのは、相撲番組というのは何とせわしいものだろうという事です。もう、初日から特集は今場所の優勝杯の行方なのです。優勝力士を予想するのですね。数日前までのけいこの様子、けがのある力士ならその状態を分析して伝え、優勝を占っていくのです。しかし、何と何と面白い程に、初日からその予想が崩れていくのです。優勝候補第一番の横綱や大関、また今場所はやると太鼓判を押された力士から黒星スタートです。いわゆる番狂わせですね。ま、それが面白く、相撲の醍醐味なのですが、そういう力士は解説者泣かせというのだそうです。力士としても真剣勝負でしょうが、番狂わせとはいつおこってもおかしくないのです。
人の人生もまた、しかりでありますね。
私どもは、いつ番狂わせがおこってもおかしくない状況におかれています。そして、それはいきなりやってきます。窮地に追い込まれた時、それをしっかりうけとめ、それを乗りこえるだけの信仰をお持ちでしょうか。番狂わせはいつでもあると自分を見つめられた時、どうしたらいいのかと自らに問いかけた時、それに正面から答えてくれる教えが、まさしくお念仏のみ教えなのです。
どんな番狂わせが、この私に用意されていたとしても、お念仏を称えれば阿弥陀様のお浄土へ参らさせていただき永遠の命がいただけるのです。
番狂わせを恐れるのでなく、番狂わせがあっても揺るぎない念仏信仰をいただくことこそが、この私を救う唯一の道なのであります。
南無阿弥陀佛。