浄土宗神奈川教区テレホン法話 第792話
猫跨ぎ、ということをお聞きになったことがあるでしょうか?
猫またぎ、亡くなられた方のご遺体を猫がまたぐとその人の魂が猫に移ってしまうといって、たいへんおそれられたものです。
また、臨終の間際に、猫がにゃ一と鳴いたりして、それを聞いて、あ、猫だ、と猫に気をとられたまま亡くなってしまうと、やはり魂が猫にいってしまう、というのです。
ですから、臨終のさいには、すくなくとも人間のレベル以上のものを、見たり聞いたり出来るような環境が大切だということになります。できれば仏様の絵があったり、なむあみだぶっの声が聞こえたりしていればこれにこしたことはない訳ですが、病院などでは難しいでしょうか?
エンドレステープの利用などは如何でしょうか。命に別状のない入院の時でも、エンドレステープに吹き込んだなむあみだぶつを聞き続けていれば、病気の治りも早いかもしれません。
ことばや想い、というものはこわいものです。こんちくしょ一、こんちくしょ一、などとことぱにだしたり、想っていたりすると、本当に自分が畜生になっていくものです。
こういうお話がございます。だるまさん、といえばたいていの方はご存じでしょう。達磨大師さま、中国の禅宗の開祖でいらっしゃいます。面壁九年、壁に向かって9年もの長きにわたって座禅を続けてお悟りなられた、たいへんな力量をお持ちの方で、自分のお力で仏さまになられた。ところが何故か達磨さんに手を合わせて拝む方はあまりいらっしゃらない。
一方、観世音菩薩様、観音さまといいますと、いたるところで拝まれる。観音様は阿弥陀様を敬って、敬って、敬って、敬いぬいて、それで仏様になられた。人間も、人を敬う方はまた、人から敬われる、そのような傾向はないでしょうか。私達は阿弥陀様を敬って、敬って、敬いぬいて、自分の心がいつも如来様の住まいになりますように心がけることが大切なのではないでしょうか。
それがこの四苦八苦の浮世を乗り切って、そしてお浄土に向かういちばんの近道だとおもいます。なむあみだぶつ。