浄土宗神奈川教区テレホン法話 第808話
新年明けましておめでとうございます。
「一年の計は元旦にあり。」といわれるように、今年の一年も、お念仏をお称えさせて頂く毎日を過ごして行きましょう。
正月早々、お念仏の話など縁起が悪いと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかしそれは、とんでもない間違いです。
今から、八百年ほど前、浄土宗第三祖、大本山鎌倉光明寺を開かれた良忠上人は、若いころ、出雲の国の鰐淵寺(がくえんじ)というお寺で修行をされていました。
阿弥陀様のご本願、お念仏の功徳を学んだ良忠上人は、十四才の元日の朝に、「五濁の憂き世に生まれしは 恨みかたがた多けれど 念仏往生と聞くときは 還って慶(うれ)しくなりにける」という歌をお詠みになられました。
五濁(ごじょく)とは、時代が下がるにつれて起こる五つの汚れのことです。濁とはにごるという字を使います。
一つには劫濁(こうじょく)といい、飢饉、疫病、戦争などの社会悪、
二つには見濁(けんじょく)といい、思想的な汚れで、邪悪な考えがはびこり、
三つには煩悩濁(ぼんのうじょく)、人間の持つ貪り(むさぼり)、瞋り(いかり)、痴さ(おろかさ)などの煩悩が盛んになり、
四つには衆生濁(しゅじょうじょく)、人間の質が低下して、善い行いがなくなり、
五つには命濁(みょうじょく)、人間の寿命が全うできない。
ということです。
まさしく、現在も、戦争、モラルの低下、凶悪犯罪など、五濁の中にあります。つまり、良忠上人は、この正しい行いをしづらい世の中において、いつ来るとも知れない死が、阿弥陀様のご本願であるお念仏をお称えすることで、浄土に往生できることを知った喜びを歌にされたのです。
しかし、その時に、先輩の僧侶が、「念仏には称える時期がある。気を悪くする人もいるので、正月早々気をつけたほうがいい。」と忠告をされたそうです。
しかしながら、十四才の良忠上人は、お念仏には、称える時期などはなく、いつでも何処でも、有難くお称えするものだという確信を心ひそかに、お持ちになられていました。
私たちもこの世において、お念仏の教えに出会えたことの喜ぴを感じ、新年早々、お称えし、日々続けていく一年となるよう精進七ていきましよう。