浄土宗神奈川教区テレホン法話 第809話
先日、火星の様子の映像をニュースで見ました。
科学の進歩に改めて感心させられた反面、人間の心は進歩しているのか、改めて考えさせられました。
国際間における戦争や対立、国内においても、凶悪犯罪のニュース。とりわけ、犯罪が低年齢化するとともに、多くの犯罪において、まことに、自分勝手な都合で罪を犯し、社会を混乱させているように思えます。
私たちは、お釈迦様がお亡くなりになってより、約二千五百年、末法の時代に生きているとはいっても、正しい教えは伝わっているはずです。
法然上人ご在世の時代も、混乱する杜会の中で、人々は悩み苦しんでいました。その中で、智慧第一の法然房といわれた法然上人がお勧めくださった正しい教えとは、阿弥陀様の本願を信じ、唯一お念仏をお称えする。ということでした。他に類を見ないほどの学問を修めた法然上人が選び取った教えが、知識や智慧をきわめ、生きながらに悟りを開くのではなく、「愚痴に還りて、極楽に、生まる」つまり、法然上人自身も、また、全ての人が、自分自身が愚かな人間であることに気づき、亡くなった後に阿弥陀様のご本願により極楽に往生させていただくというお念仏の教えだったのです。
どんなに科学が進歩しようとも、人間の心はそう変わるものではありません。逆に、学問や知識にとらわれて、皆が高慢な心となり、争いが絶えない社会になってしまっているようです。
法然上人がお亡くなりになる二日前に残された、一枚起請文には「智者のふるまいをせずして唯、一向に念仏すべし。」と書かれています。
よい社会となるには、私たちが、愚痴や欲望にまみれ自分勝手な振る舞いをしている、愚かな自分自身に気づくことが肝心です。そして、そんな、私たちをもお救い下さる阿弥陀様の大慈悲のみ心に感謝し、ご本願であるお念仏をお称えすること。まさしく、ただ、一向に念仏することが、法然上人のお勧めくださった、正しい教えであります。