浄土宗神奈川教区テレホン法話 第823話
浄土宗は皆様ご存知の通り、『南無阿弥陀仏』とお念仏をお称えする宗派であります。
『南無阿弥陀仏』とは、昔のインドの文語(ぶんご)であるサンスクリット語の「ナーモー アミターバー」を漢字で音写(おんしゃ)したものです。
『南無』とは「どうか宜しくお願い致します」という意味で、『阿弥陀』の『弥陀』とは「量(はか)る」という意味で、この上の『阿』という接頭語(せっとうご)がつくと意味が反対になり「量り知れない」という意味になります。
すなわち『南無阿弥陀仏』とは、「量り知れない阿弥陀様、どうか私をお救い下さい」とお願いする言葉で、浄土宗のご本尊である阿弥陀如来様に対し、帰依(きえ)と信頼の心を持ってお称えします。
阿弥陀仏は『無量寿』といわれる永遠(えいえん)の生命(いのち)と、あらゆる人々を慈悲の光を照らして漏らすことのない『無量光』という本質を備えた仏様です。
浄土宗の宗祖法然上人は、法然上人の代表的な著作(ちょさく)の『選択(せんちゃく)本願念仏集』の中で、阿弥陀仏の浄土へ往生するには、本願念仏を最要(さいよう)とすることである『念仏為先(ねんぶついせん)』と言われ「南無阿弥陀仏と仏の名号を称える事は、全ての功徳の帰するところであり、阿弥陀仏には智慧や体や心に関する無量の功徳があると云われていますが、それらの全ての功徳は、実は阿弥陀仏の名号の中に含まれており南無阿弥陀仏と名号を称える事が、もっとも優(すぐ)れた功徳なのです。」と説かれております。
大本山光明寺御法主宮林台下は、「お念仏は毎日毎日の生活に生き、働く実践であり、阿弥陀様と一緒に暮していく事であり、阿弥陀様が私達を救うと誓った本願を思い、一声一声に感謝を込めて念仏を称えるとそこには仏様のお救いがあり守られていくのです」と言われております。
今現在は安穏(あんのん)な人生があり、未来においては必ず阿弥陀仏のお浄土に往生できる事を信じて、今現在をお念仏をもって生活していきたいものです。
◆引用文献
『うちのお寺は浄土宗』 総監修 藤井正雄
『法然上人と浄土宗』 著作 宮林昭彦
『浄土宗大辞典』