浄土宗神奈川教区テレホン法話 第839話

思いやり
 前話の第838話では、子供に対する虐待について、思いやりの欠如、佛教でいう無慈悲、自分本位の親に対することについてお話をいたしましたが、今回、お母さんの思いやりをみて、人を大切にする気持ちをこれから育てたいという中学生Uさんの作文を披露し、あらためて、母親はこうでありたいという姿をお話いたします。
 Uさんの作文より
 私には老人性痴呆の祖母がいました。そのころ私はまだ小学生で、痴呆という病気を理解することが出来ず、母は私に「おばあちゃんはだんだん小さい頃に返っていっちゃうだよ」と説明してくれました。
 祖母の痴呆はひどく、母が洗濯、掃除するときにも、どんな時でも母の上着を離さず、「お母さん、お母さん」といって母の後をついてまわりました。
 母の一日はほとんど祖母に費やしていました。
 祖母の介護だけでも大変なはずの母は、小学生だった私のためにも、朝早くから朝食を作ってくれたり、放課後友達を呼んでもよいといってくれたりと、楽しい小学校生活を皆と同じにさせてくれていました。
 そのため、今思えばあの時の母には寝るとき以外に自分時間などは全くといっていいほどなかったように思います。
 そんななか、祖母を福祉施設へという話がでました。
 母はそれをことわりました。
 祖母が元気のときにいった、「自分の家のなかで、一生を終えたい」という気持ちを尊重したためです。
 母は最後まで祖母の介護をやり続け、祖母の一生.を、祖母の願いどおり、家でみとりました。
 どんな大変な時でも、祖母の、「自分の家で一生を終えたい」という気持ちを大切にし祖母が息を引きとるその最後の瞬間まで、祖母の生活の幸せを大切にし続けた母。
 また小学生だった、私に対しても、皆と同じような生活の幸せを大切にしてくれた母。
 あの時の事を、大変だったけど後悔はしていないよ。という母は、とても大きな思いやりを持った人だと思います。
 そんな母の事を、私は母親として、人間として尊敬するし、私もそんな、思いやりのある人間になりたいな。と思います。
 そのために、小さなことから少しずつ、人を大切にする気持ちを育てていきたい。
以上Uさんの作文です。
 このUさんの母親こそ、施しをし、子供たちに、大きな影響をあてえたのです。

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