浄土宗神奈川教区テレホン法話 第850話
みなさんはじめまして。
私は在家に生まれ育ち、結婚を機にお坊さんとして得度いたしました。
当初、私はお寺と言えば「薄気味悪い所だな〜」と思うくらいで、何もわからず「阿弥陀様」って?「お念仏」って?「法然上人」って?とまったくお恥ずかしい話です。
そんな私のことを実家の両親も随分と心配しておりました。
「お前にお寺がつとまるのか?」「修行は厳しくないのか?」と。
あれから16年、昨年の暮れ実家の父が脳卒中で倒れ、左半身がマヒしてしまいました。
突然の出来事でした。
今年で80歳になる父にとっては辛いリハビリ生活の始まりです。
ですが父とその父を一生懸命介護をする母、二人は今までの人生、そして今、さらにこれからの人生をしっかりと見つめ直しているかの様でした。
皮肉なことに、こういう事態になって初めて確認できたことと申しましょうか、私は初めてそんな両親の姿を見た思いが致しました。
普段、私たちは今の生活を当たり前のように過ごしています。
ですが、その当たり前のことができなくなったとき、人は悩み、迷い、うろたえます。
しかし、それは逆に現実をきちんと受け止める機会と言えるのではないでしょうか。
自分の無力さに消沈するだけではないということです。
法然上人はおっしゃって下さっております。
「そんな無力な私たちだからこそお念仏をお称えなさい。必ず阿弥陀様がお救い下さいます。」と。
みなさん法然上人をお慕いし、共にお念仏をお称えして参りましょう。