浄土宗神奈川教区テレホン法話 第856話

 以前、日頃からお念仏をよくお唱えされている方が、「自分が死ぬとき、苦しくてお念仏を唱えられなかったらどうしよう」と心配されていました。
法然上人は、次のようにおっしゃっております。
 「人の死は、前々から思っているようにはならないものであり、急に道で倒れることもあります。大小便のときに亡くなる人もいるでしょうし、他人に切られて、命を落とす人もいるでしょう。また、火事や水害で命を落としてしまう人もいます。
 しかし、そのように命を落としても、日頃から念仏を唱え極楽への往生を願っている人であれば、命が尽きるとき、阿弥陀仏・観音・勢至がお迎えに来てくださると信じていられるのです。」
 このように法然上人は、予期できない人間の死を現実的な目で見ており、望ましい死を迎えられなくても日頃から念仏を信じ、唱えていれば、極楽浄土に往生することが出来るとおっしゃっております。
 つまり法然上人は「どこで、どのように生きようとも、お念仏を唱えられるように生きることがもっとも大切である」というお言葉のように、「死に様」よりも、「日常の念仏」を大切にしていたのです。
 いつどこでどうなるか分からない私たちです。ですから、日頃から、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えしていくばかりなのです。

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