浄土宗神奈川教区テレホン法話 第864話
「当たり前」
先日、筋ジストロフィーで亡くなられた中学三年生の少年の法要を務めました。法要にはバスケットボール部の仲間や同級生が大勢参列し、大きな声で念仏をとなえていました。
法要後、ご両親から遠足や部活動の写真を見せていただいていると、お母さまが
「最初はこんなふうにうちの子供がみんなと
同じように遠足に行けるとは思ってもいま
せんでした。本人もあきらめていたんです。
でも小学三年生の遠足の朝、突然、子供の友達が迎えに来て遠足に連れて行ってくれたんです。帰って来るまでハラハラしました。しかし、そんな心配もよそにお友達と元気に帰ってきたんです。
そのうれしそうな顔を見て、お友達に『今日はみんなにいろいろと迷惑をかけたね。本当にありがとう』とお礼を言ったんです。そうしたら、逆に『おばさん、何言っているの。そんなの当たり前だよ。だって友達だもん!』と怒られたんですよ。
しかも後で、うちの子供が遠足に行った
ことがないことを知った子供たちが自発的
に車椅子の子でも通れるルートを事前に現
地へ行って調べてくれたことを聞いたんで
すよ。それから毎年そうしてくれているん
です」と話してくれました。
最近、困った時に誰かに助けられて「当たり前」と思う人が多くなったと聞きます。
でも本当は助けられる側が「当たり前」ではなく、この子供たちのように助ける側が「当たり前」だったようです。
阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」ととなえる者をもれなく救って下さいますが、私たちも「それが当たり前だと思ってはいけません」。
しかしそんなことを言っても阿弥陀さまは、お念仏をとなえる者を救うこと、「そんなことは当り前のことです」とおっしゃるでしょうけれども……。