浄土宗神奈川教区テレホン法話 第872話
孝養について
先月は敬老の日がございました。
敬老の日が過ぎますと又敬老という意識が薄れ寂しい思いが致します。
日本の祝日には他に母の日、父の日があります。
敬老の日を含めこの三日の祝日の日に孝養について意識されると、ありがたいと思います。
「親への孝養」と言う言葉は、ほとんど聞かれなくなりました。
この事は実に残念に思うのです。辞書によると孝養は「親によく仕え、したがう事」と書かれております。
「孝」とい字は老人の「老」と子供の「子」とを組み合わせた形です。
長髪の老人を横から見た形でこれに子をそえて子供が老人によく仕えるという意味となり、「親思い、孝行」を言います。
中国の孔子以前に孝は、よく祖先に仕え祖先をまつるという意味で使用されていました。
後に、孔子と弟子の曾子との問答形式で孝について書いた「孝経」という書物がある位孝養を大事にしておりました。
時代が進んでも孝養は、なくしてはいけない大切な事です。
以前私の小学校の教科書に野口英世の話が載っておりました。
立派になられた野口英世が、大衆の面前で、人目を気にせず足腰の弱ったお母さんをおぶっている姿が、いまだに目に焼きついております。
孝養は仏教的にとても重要な意味があります。
法然上人曰く「孝養の心をもて父母を重くし思わん人は まず阿弥陀ほとけにあずけまいし」という言葉があります。
孝養を尽くし大切に思う人はまず父母を阿弥陀様におまかせしなければ、本当の念仏者の孝養ではないのです。
その続きは、自分が人としてお念仏を出来るのも育てて下さった父母のお陰なのですから、念仏の功徳を父母にふりむけて、極楽へお迎え頂き、罪を滅して下さいと願うと阿弥陀様は、極楽へ連れて行って下さるのです。
これが親に対しての子が行う当たり前の事です。
その為にまず、自分が念仏生活をする事です。
これからは孝養を意識しながらお念仏をしていただければ何よりです。