浄土宗神奈川教区テレホン法話 第877話
師走と懺悔
こんにちは。大分気ぜわしい季節になりましたが、昔は12月に入りますと、各寺々で行われます「仏名会」といって、1年間の積り積った罪科を仏のみ名を唱えまして懺悔する法要が各地でおこなわれたものであります。
そこで、多くの僧侶が忙しく寺々を、あるいは信者の家を飛び巡っていたところから、師走という言葉が生まれたわけです。
なぜ、師走に入り懺悔をするかといえば、1年間の長きに亘る間につくってきた、様々な罪科を仏様のみ名を唱える中で、身と心を浄め、新年を迎えるためであります。
懺悔といえば、仏教を開かれたお釈迦様も常にお弟子達に懺悔反省をさせておりました。
私共も毎日朝夕の勤行、葬儀、法事など全ての法要の時には、必ず最初に御仏の前に懺悔し、悔い改めて、それから本題の法要に入っております。
人間という動物は沢山の煩悩をもっているため、自分の思い通りにならないと、苦しみ、悲しみ、怒りや慢心してしまうこともあり、時には悪心を持つ事もあり、罪を犯しやすいものなのです。
中国の唐の善導大師は、「専ら弥陀の名号を念ずるには如し、念々の称名は常に懺悔なり」と申しております。
また、宗祖法然上人は、「十悪の法然房、愚痴の法然」と自ら言っておられ、常に罪悪を犯している姿を自ら見出して深い懺悔をし、お念仏によって往生できると説いておられます。
旧年中に犯した沢山の罪科をお念仏をもって懺悔し、浄らかな身と心をもって新年を迎えることが出来るならば、誠に素晴しい事と存じます。