浄土宗神奈川教区テレホン法話 第897話
前回は、「動物でも阿弥陀仏の光明を見れば解脱が出来る」をお話しました。
我が家のペットチャトランは、たった8ヶ月で逝ってしまいました。
いつも一緒にいるときは、
(チャトランが死ぬときは、私はいくつになっているのだろう。10年後だろうか。20年後だろうか。)
などと考えていました。
それが、半年も一緒にいれなかったのです。
では、もう1日一緒にいれたらどうだったのでしょう。
もう1ヶ月一緒にいれたらどうだったのでしょう。
やはり、いつかは別れが来るのです。
人間でも、ペットでも、別れはいつか来るのです。
お釈迦様がお亡くなりになるときに、悲しむ弟子にむかって言いました。
「そんなに悲しんではいけません。
どんなに長く生きられたとしても同じことです。
会うものはいずれ別れるのです。
私は今死んでゆくけれども、この身が滅びるのは、まるで悪い病から逃れるようなものです。
この体のために、さまざまな物や事に執着し、悩み苦しんできたのです。
この体は、生まれてから、老い続け、病にかかり、そしてまさに死に直面しているのです。
だから、私にとってこの身を捨てることが、救われることなのです。
この身を持っている以上罪を作り続けるが、この身がなくなれば罪を作らなくて良いのです。
むしろ、この身が死ぬことを喜ばなくてはならないのです。」