浄土宗神奈川教区テレホン法話 第896話
前回は、「交通事故で死んでしまった、猫のチャトランが、身をもって教えてくれたこと」をお話しました。
ペットにしろ、家族にしろ、身内の不幸は残された家族の心に深く大きな傷を残します。
私自身も、今回のチャトランの死で大変悲しい思いをいたしました。
チャトランは、さっきまで確かにそばにいたのです。
腕には引っかかれた傷があります。
台所には食べ残しのえさがあります。
庭のプランターの中には、足跡があります。
どこにいっても、チャトランは確かにここにいたのです。
それが急にいなくなってしまうなんて、本当に信じられませんでした。
いったいチャトランはどこにいってしまったのでしょう。
生前中は
「今度生まれてくるときには、人間に生まれて来るのだよ。そうしたら、必ずあいにきてね。」
と話しかけておりました。
それまで待たなければいけないのでしょうか。
「無量寿経」の中には
「もし、動物の世界で苦しんでいても、阿弥陀仏の光明を見れば、みな休息することができ、苦しみもなくなる。命が終わってから皆、解脱をこうむる。」
とあります。
また、法然上人も無量寿経をもとにして、
「亡くなられた人のために、お念仏を唱えなさい。そうすれば阿弥陀仏が光を放って、3つの苦しみの世界を照らし、たとえ、そこにいる者でも苦しみが休まり、命終わったあと、解脱する。」
といわれています。