浄土宗神奈川教区テレホン法話 第902話
さとりの世界を仰ぐ 『浄土宗見光山眼性院大念寺』
佛は彼岸(浄土)に立って待っている。彼岸はさとりの世界であって、永久に、むさぼりといかりと愚かさと苦しみと悩みのない国である。そこは、智慧の光りだけが輝き、慈悲にうるおわされている。この世にありて悩む者、苦しむ者に安住が得られる所である。
この国(極楽浄土)は、光のつきることのない、命の終わることのない、又再び迷いに戻ることのない世界である。真に、この国は悟りの楽しみが満ち、華の光りは知慧をたたえ、鳥の囀りも佛の教えを説く国である。まことに、すべての人々が最後に帰って行くべき処である。
しかし、この国は、安逸の処ではない。その華の臺は、いたずらに安楽に眠る場所ではない。真に働く力を得て、悩める人々を救うため、精進に修行して、その功徳を貯えておく場所である。
佛の仕事は永遠に終わることがない。人間の存在のある限り、生き物が生存する限り、又、それぞれの生きものの心が、それぞれの業感(善悪の報いを引き起こす行為)の世界を作り出している限り、救いの手の休まる時はないのである。
今、佛の力によりて、彼岸浄土に入った佛の子等は、再びそれぞれの縁のある佛の世界に帰って佛の仕事に参加するのである。一つの灯火が灯ると次ぎに他の灯に火が移されて、尽きることのないように、佛の心の灯も、人々の心の灯に次から次へと火を点じて、永遠に終わることはない。
佛の子等も、又佛の仕事を受け持って、人々の心を成就し、佛の国を美しく飾るため永遠に働いてやまないのである。(仏説無量寿経)