浄土宗神奈川教区テレホン法話 第916話
金台寺 奥田昭應
必 死 の 伝 道
かつて、大学を卒業した頃、インドの聖地ベナレスから、商業都市ゴーラクプルを経て、ネパールとの国境の町バイラワへ。入国審査を経て、国境を歩いて渡り、乗り換えたバスは、板にただビニールを張っただけの粗末な椅子で、屋根の上まで人も荷物もいっぱい乗せて、おんぼろバスは、車一台がやっと通れる未舗装の道を左右に揺れながら、ガードレールのない断崖の細道を、峠に向かって、黒煙を巻き上げながら、威勢良く登って行きました。
38時間のバスの長旅に、心身ともに疲れきってようやく辿りついたポカラの町は標高七百メートル。ヒマラヤ山脈の一つ、聖なる山マチャチャプレを目の前に仰ぐ、湖のきれいな静かな街でした。夜明け前から、八千メートルを越えるヒマラヤの山々の頂きが、紫金色に輝き始めます。
お釈迦様の教えを伝え歩く弟子達は、このヒマラヤの西側を、カシミール地方を経由して、西域の辺境の国々へ渡っていきました。しかし、その苦労と勇気はとても計り知れません。
伝道者のある者は、この地から眼前の山を更に越えて、チベットやブータンの国々へも渡ってゆきました。
一年に一度は顔を見せたであろう商人のキャラバン隊から、この山の向こうに人々が暮らす村があるとは伝え聞かされたとしても、雪と氷に閉ざされたこの山に入って行くことはまさに死と直面する危険が有ることは、この町にいても容易に伺い知ることが出来ました。
それでも、たとえこの身を死の渕に落とすことがあったとしても、人々を救うこの尊い御仏の御教えを秘境の人々にも伝えずにはいられない、という強い使命感が、死の恐怖と戦わせたのかも知れません。ある者はその寒さに凍傷で手足をなくし、ある者は薄い空気に発狂した者もいたでしょう。そんな必死の伝道が、いつしか私たちに伝えられたのが、それが仏教です。
何気なく手にもつお経の一字一句の中に、尊い多くの人々の命が息づいています。我が身の命さえ惜しみなく、伝道に捧げられました。
次回は1月11日にお話が変わります。