浄土宗神奈川教区テレホン法話 第927話

平成23年は、浄土宗を開かれた法然上人がお亡くなりになられてから800回忌をお迎えいたします。 前回は法然上人がすべての人が救われる教えを捜し求め、やっと43歳の時に浄土宗を開かれたことをお話いたしました。 ただ阿弥陀様のお誓いを信じて、お念仏をお称えすれば、誰でも救われるという教えは、今までの仏教の教えとは違い、多くの人々の救いとなりました。一方、当時の仏教会からは「ただ念仏だけ称えればいいなどということは、今までの教えを非難しているのだ。」という批判を受けることにもなりました。しかし、法然上人は、自分が示した教えは、お釈迦様のみ教え、善導大師のみ教えあるとして一生涯、命がけでお示しくださいました。そしてそれは、今までの仏教を否定したものではなく、すべての人が救われる御教えであるからこそ止めるわけには行かなかったのでした。智慧のあるもの、財産のあるもの、力があるものは救われて、そうでないものは救われないということはお釈迦様の本意ではないはずです。 当時は、天災・飢饉そして戦乱により人々の生活は、困難であり、精神的にも苦しい日々でありました。法然上人のお弟子様には、武士であった方が多くいます。武士を生業にしながらの人生には、多くの苦しみがあります。 熊谷直実という武将は、信じていた人に裏切られたり、憎しむ相手でもないにもかかわらず戦わねばならない、わが子ほどの幼い相手でも殺さねばならないという生活は、生きていても地獄、死んでも地獄であると苦しんでいました。この世の不条理に悩んでいる時に、法然上人の、「阿弥陀様は、正しい行いができず、悩み、苦しんでいる人々こそ救わずにはいられないのだ。」というお言葉により、武士をやめ、法然上人の弟子となり、念仏信仰の道に入られたのでした。 今は、時代が違うから。800年も前の話だから。」と思われる方がいらっしゃると思いますが、果たしてそうでしょうか。 現在を生きる私たちでも、悪いこととは分っていても、そうしないと生活できない、正しいことをしようと思っても気がつくと正しくない行動をしてしまう。争いがないほうがいいことは分っていても、わが身のために他人を傷つけている。そして、そのことに気がつかず、日々の生活を続けてしまう。昔も今も変わりはありません。 お念仏をお称えしていると、自分自身に気がつきます。「私は、立派な人間なんだろうか?」「いや、結局は我が身可愛さに多くの過ちを犯しながら生きてきたのでは?」 阿弥陀様は、そんな私たちを、そのままに救い取ってくださいます。「ただ、私の名を称えなさい。」 法然上人は、西暦1212年、建暦2年1月25日に80歳でお亡くなりになられました。 平成23年は、法然上人がお亡くなりになられてから800回忌となります。お念仏をお称えすること、念仏信仰の生活をすることが法然上人のご恩に報いることとなります。

次回は5月1日にお話がかわります。