浄土宗神奈川教区テレホン法話 第933話
三浦組 松江 弘信
前回は、真に良い人間に、なりきれないならば、なりきれないままにお念仏をお称えし、阿弥陀様のお慈悲におすがりしましょう。とお伝えをいたしました。今回は、浄土宗では、なぜ阿弥陀様のお慈悲におすがりし、お念仏をお称えしましょう。とおすすめしているかをお話したいと思います。
阿弥陀様は法蔵菩薩、と言う名のもとで菩薩行としてご修行されていた時、四十八の願いを立てられました。その中の、特に第十八願には「もし私が仏になった時、人々が真心を込めて、私が創った極楽浄土に生まれたいと思い、十ペンのお念仏を申しても、極楽浄土に生まれる事が出来いのならば、私は仏にならない。」とお誓いし、ご修行下されたのです。そして、ついに苦しい修行の末、法蔵菩薩様はまさしく仏である阿弥陀様となられたのです。つまり、全ての願いを成就なさって、現在でも西方極楽浄土で「念仏を称えよ」と呼びかけて下さっております。
ですから、真に良い人間になりきれない私たちは、本来、地獄や餓鬼、畜生道など苦しみの多い世界に生まれ変わらなければならないところを、阿弥陀様のお慈悲によって、お念仏を称えることで極楽浄土という世界に生まれさせていただけるのです。
たとえ、疑いながらでもお念仏をお称えしていますと、次第に疑いの心も消え、生きている間はおだやかな生活を送ることが出来、死に際しては、お迎えいただき、阿弥陀様の極楽浄土に往生する事が出来るのです。
どうぞ皆さんもご一緒にただ、ひたすらにお念仏をお称えてまいりましょう。
次回は7月1日にお話が変わります。
参考文献
『歓喜の音』 民谷隆誠台下
『浄土宗信行経典』