浄土宗神奈川教区テレホン法話 第943話

浄土宗はお念仏の宗派だというお話をお耳にしたことのある方は少なくないと思いますが、さて、そのお念仏を唱える際、どのような心構えで唱えればよろしいのでしょうか。今回はその、お念仏の心構えについてお話をいたします。 心構え、それは一枚起請文にも記されております。一枚起請文とはご存知の方も多いかと思いますが、浄土宗をお開きになった法然上人がお亡くなりになる前日にお書きになったといわれるご法語です。その中で「極楽に往生するには、“南無阿弥陀仏とお唱えすれば必ず往生できる”と信じて唱える他にはない。また、お念仏をお唱えするにあたり、心構えとして三心四修の教えがあり、その心構えは“南無阿弥陀仏とお唱えすれば必ず往生できる”と思っていれば、既に含まれている。」とお説きになられているところがございます。 ただ今申し上げたことのように、“南無阿弥陀仏とお唱えすれば必ず往生できる”と思いお念仏いただければ自ずと心構えが具わってくるのです。 ですから、お念仏をお唱えいただくことが第一なのですが、その際には“必ず往生できる”と思いながらお唱えいただければと思います。

十念

次回は10月11日にお話しがかわります。

一枚起請文

土(もろこし)我朝(わがちょう)にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。
又学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。
ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、 うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細(しさい)候(そうら)わず。
ただし三心(さんじん)四修(ししゅ)と申すことの候(そうろ)うは、皆決定(けつじょう)して 南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。
この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候(そうろ)うべし。
念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学(がく)すとも、一文不知の愚鈍の身になして、 尼入道(あまにゅうどう)の無智のともがらに同じうして、 智者(ちしゃ)のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。
証の為に両手印をもってす。
浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義(べつぎ)を存ぜず、
滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)をふせがんがために所存をしるし畢(おわ)んぬ。

建暦二年正月二十三日 大師在御判