浄土宗神奈川教区テレホン法話 第961話

春になりなすと、花が咲き、陽気もポカポカで、旅行へ行きたい気分になります。行った先々では、その美しい景色に感動し、その土地のおいしい食べ物に顔をほころばせる、誰もが経験あることではないでしょうか。この春、そんな素晴らしい場所へお出かけになるご予定の方も多くいらっしゃると思います。 ところで、浄土宗をお開きくださいました法然上人の或るお伝記にこんなお話があります。上人は、晩年に四国へ流されてしまうことになるのですが、その流された讃岐の国、今の香川県ですが、そこでお過ごしのある日、何人かの方と讃岐の松山という所へお出かけになる。当時大変美しい名所だったそうです。一行はその景色に感動し、一首ずつ歌を詠むことになる。その際法然上人が詠んだ歌が、「いかにして われ極楽に むまるべき 弥陀の誓いの なき世なりせば」という歌でした。どのようにして私は極楽浄土に往生できましょうか。もし阿弥陀様のみ教えがない世であったなら。でも今こうしてお念仏の教えがあり有難いことだなあという意味です。この歌には讃岐の松山のことが全く歌われていない。みんなは上人を落第とするのですが、上人がこのとき答えられた言葉が有難い。 「さりとては、ところのおもしろくて こころすめば かくいはるるなり」というのです。り、確かにこの松山の景色は素晴らしい。しかし、一瞬の感動がすめば、どうしても極楽のことを思わずにはいられない。四季折々の景色の美しさも世の無常にひとたまりもなく崩されてしまうではないかという思いであります。だからこのような歌になるのですと。一行は上人が極楽お思う尊さに涙したといいます。災害などで美しい名所が無残になる映像を見たりしますと悲しいとともに、この法然上人のお言葉が響いて参ります。

次回は4月11日にお話が変わります。