浄土宗神奈川教区テレホン法話 第973話
港南組 金台寺 奥田 昭應
「三蔵法師」についてお話申し上げます。
「三蔵法師」といえば、まず大半の方が孫悟空が登場します「西遊記」、次にそのモデルとなります、唐の時代の僧侶・玄奘三蔵を思い浮かべるのではないでしょか。
しかし、玄奘三蔵よりも二百年さかのぼりますが、我が国の仏教を考えるとき、「鳩摩羅什」という三蔵法師の方がより大きな影響を日本は頂いていると言えます。
羅什三蔵は、4世紀の半ば、中国辺境の地、シルクロードのオアシス、亀慈国という小さい国に生まれます。幼少より、インドに大乗仏教を学び、帰国後、お釈迦様の教えを分かりやすく解説を加えて広めてゆきました。そのまたたくまに中国の都、長安にまで伝わると、五胡十六国と呼ばれた戦乱の世、全泰の国王・苻堅(ふけん)は、天下を治める野望のため、羅什三蔵を、是非、手元に迎えたいと切望いたします。
しかし亀慈国側も、ようやく領民にまで仏教が広まり始めたばかりです。おいそれと従うわけにはいきません。「大国の命に逆らうとは何ごとぞ」と帰って反感を買い、国王の命を受けた将軍呂光は羅什三蔵の引渡しを求め七万もの軍隊とともに亀茲国に遠征。しかし良い返事はもらえず、ついに国を攻め滅ぼしてしまいます。沢山の財宝を奪い、羅什三蔵を捕らえた将軍でしたが、遠征中に自らの国自体が倒され国王苻堅(ふけん)が殺されたことを知ります。以来、羅什三蔵は、この呂光に捕らわれたまま16年もの長い間、牢獄生活を強いられるのです。
その後、前泰に変わって後泰という国が興り、銚興(ようこう)という人物が第二代国王になると、仏教を以って国を治めたい願い、6万の軍隊を派遣、終に羅什三蔵を解放し国賓として長安の都に迎えます。西暦401年12月、羅什52歳の年でした。それからというもの、羅什三蔵は膨大な経巻を次々に翻訳してゆきます。
日本に伝わった羅什三蔵の漢訳経典によって、聖徳太子を三経義疏を書き、十七条憲法が生まれました。各宗派が拠り所しています根本経典類もその大半が羅什三蔵が翻訳してくれたものです。
羅什三蔵の苦難に満ちた波乱万丈の人生から訳された、大乗経典の一字一字の中に、全ての命が生かされ、共々に助け合って理想の平和社会を作っていってほしいという切なる願いが込められていることを私達は知らなければいけません。
次回は8月11日にお話が変わります。