浄土宗神奈川教区テレホン法話第976話

京浜組 良忠寺 森本 有史

我々、浄土宗僧侶がおこなっている、この「テレホン法話」を、毎回楽しみにされている方も多いと存じますが、今回初めてお聞きになる方も中にはいらっしゃるのではないでしょうか?ひと月に3回、お話が変え、皆様にお届けしております。まず9月の1話目として、我々浄土宗について簡単に説明させて頂きます。「南無阿弥陀仏の念仏をとなえさせすれば、人間は誰でも極楽に往生できる」これが、浄土宗を開いた法然上人の一番の教えです。法然上人が浄土宗をお開きになる以前の仏教は、どの宗派もそれ相応の知識が必要とされていた為、その当時一般の民衆には手の届かないものでした。それだけに、「難しい学問も修行もいらない。ただひたすらに南無阿弥陀仏とお念仏をとなえさえすれば、誰でも極楽に往生できる」という法然上人の教えは民衆に受け入れられました。このお念仏には、声に出してとなえる「称名念仏」と、仏様や極楽浄土を思い浮かべる「観想念仏」があります。法然上人は声にだしてとなえる称名念仏こそ、往生につながる唯一最上のものとされました。ほかの一切の修行を捨て、念仏のみをとなえる事を「専修念仏」といい、これが浄土宗の教えの基本です。では、ひたすらにとなえる念仏とは、どの位の回数であれば良いのか。これについて法然上人は、自ら書かれた『一紙小消息』という書物の中で、「一念なお生まる、況や多念をや」と書いています。意味は、「一回の念仏でも往生できるのだから、たくさんの念仏で往生しない訳がない」という事です。すなわち念仏はその回数ではなく、阿弥陀様を信じ、阿弥陀様にすがる気持ちが念仏となって口から出ること。それが救いであるとしました。繰り返しますが、阿弥陀様を信じ、阿弥陀様に全てをお任せし、南無阿弥陀仏とおとなえするのが、浄土宗の教えなのです。次回のお話は時節柄、お彼岸についてお話させて頂きます。
次回は9月11日にお話が変わります。