浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1047話
ある新書のあとがきで、作者の方がこんなことをお書きになっていました。選択肢をあまりたくさん提示されると現実には目移りばかりして、判断すること自体が不可能となる。それは、まさに日本の出版界で新書の販売についておこっていることにもいえるのだと。これには、大きくうなずいてしまいました。皆様もそう思いませんか。一ヶ月に出る新書の数は優に一〇〇冊は超えているのだそうです。テーマも多岐にわたっています。少しばかり大きな本屋に足を運んでみますと、その新書コーナーはあらゆる内容の題でこれでもかこれでもかと、ところ狭しと並べられております。私どもには選び放題なわけです。ところが、いざ選ぼうとすると、これがなかなか決まらない。ぱらぱらとめくってみる。今まさに買おうかと手にしたその本ですが、いやこっちの方がいいかなと別の本を手にする。ともすれば、全く違うテーマに興味を向けてしまう。カバーをチェック。時間かけては、またもとのテーマにもどり先ほどの本を手にする。どうしようかなと思っている時間が過ぎていくと、心も飽和してきてしまい、あげくのはてには、薄い内容のつまらない本を買うのも馬鹿らしいな、誰か「これ」というオススメを教えてほしいななどと自主性すらなくなってしまいます。あれもこれもあると、実はあれもこれも選ぶことができなくなってしまうのです。
仏道修行においてお念仏の教えはまさしくそこにあるといって良かろうと思います。人間、あれもこれもできないという視点が阿弥陀様のみ心にあるのです。多くの修行を実践しなければならないといえば、それはその通りなのですが、それが人間にできないと、阿弥陀様は先刻ご承知で、それならどうすれば救いとれるかと考えを運んで下されたのであります。人間にできるあらゆる選択肢の中から、「誰もができる」という条件を加えて、たった一つにしぼって下さったのが、「全ての功徳がこめられた阿弥陀仏の名を呼ぶ」という修行なのであります。もう阿弥陀様の方から選んでいただいているのです。新書を選ぶように目移りすることもございません。間違いのない仏様からの選び、阿弥陀仏の名を呼ぶというその行を実践するだけなのであります。ただひたすらそのお念仏の行をうちまかせていくこと、それが法然上人のただ一向に念仏すべしのお諭しなのです。