浄土宗神奈川教区テレホン法話 第1049話


 インドを源流とする仏教は、シルクロードを経由して中国へと伝えられました。たとえば西遊記で登場する玄奘三蔵が、インドから持ち帰った経典のなかに、阿弥陀仏の教えがあったことなどです。
 その後に、中国浄土教を広めた人物が、善導大師です。本年は法然上人800年大遠忌前年の年でもあるので、中国西安から20キロほど離れた郊外にある香積寺で、二祖対面法要に参列しました。この二祖とはもちろん、法然上人と善導大師です。
 浄土宗には二祖対面という、生きている時代が異なるお二人が、時空を超えて夢の中で出会うお話があります。たとえば法然上人は、夢のなかで善導大師と出会ったお話を、次のように伝えています。
「紫雲が湧き上がり、それは日本国中を覆って、光り輝いたその雲の中から、宝石のような色をした鳥たちが飛び出してきた。そして高い山に登ると、善導大師にお会いした。その姿は腰から下は金色で、上半身は普通のお姿である。大師は私に、こう話しかけた。『あなたは専修念仏を広めてくれているので、姿を現した。私は善導である』」
 法然上人は、この善導大師のお姿を、「弥陀の化身」とおっしゃっています。なぜ夢の中に現れた大師の姿を「弥陀」だと思われたのか、それには理由があります。夢を見る以前に、上人は善導大師が残された「観経疏」に、43歳のときに出会っているのです。その書には、こうあります。
「一心に専ら南無阿弥陀仏と唱え、行往座臥どのような状態であっても、時間の長短に関わりなく、一瞬も絶やすことなく持続すれば、これこそ極楽浄土に生まれることが決定している。
 なぜかといえば、それはただ阿弥陀仏の御心のままを実践するおこないだからである」
 法然上人800年大遠忌の前年に、中国西安の香積寺を訪れたことは、たいへん意義深いことでした。高さ35メートルほどの仏塔には、善導大師が埋葬されており、まさにその大師さまに向かって、お念仏を唱えることができたからです。
 法然上人が夢のなかで大師に出会われたように、まさに善導大師の御心に、対面したような想いでした。

次回は9月21日にお話が変わります。