港南組 正應寺 石川 基樹
浄土宗神奈川教区テレホン法話第1151話、今回と次回は生きがいについてお話を致します。生きがいという言葉は普段何気なく使っていますが、実は日本語に特有の言葉であって、日本語の意味する生きがいのニュアンスにそのままあてはまる言葉がほとんどの世界の言語に見当たらないといわれています。この生きがいをいかにしてもつかということが現在、大きな関心を集めています。私たちが「あなたの生きがいは何ですか」と聞かれたとしたら、色々な答えが出ると思います。例えば、家族や友人との絆を思い浮かべることもあります。あるいは、人との出会い、仕事の達成、趣味の上達、自己実現など様々な生きがいを思い浮かべることがあると思います。私たちはこうした様々な生きがいを生きる目標として日々生活しています。生きがいに支えられて生きていると言ってもよいかと思います。私たちを支えてくれる生きがいですが、ここで少し立ち止まって生きがいそのものの強さということについて考えてみます。先にさまざまな生きがいの例を挙げましたが、例えば仕事や趣味は失業問題が取りざたされるように経済の状況の悪化で失うことがあるかもしれません。多くの人が生きがいと考えている家族や友人という存在にしても不幸にして事故や病気で思いがけず失ってしまうことがあります。また、そもそもの自分自身がいつまでも健康であるという保証はどこにもありません。そう考えると実は私たちが普段考えている生きがいはいかに儚く脆いものであるのかということが見えてきます。では、壊れにくい生きがいはないのでしょうか。このことについて次回のテレホン法話で考えてみたいと思います。
次回は、9月の中頃にお話がかわります。