浄土宗神奈川教区テレホン法話  第672話
 
 最近不況の影響やいじめ、社会への適応がうまくいかないなどの理由から自殺が増えています。
 多様化した杜会の中で、自分の存在をしっかり位置づけそれを確認するという事は結構大変なことです。その過程では、情けない自分を発見したり、無力な自分が見えたりし、周囲の圧力に押しつぶされそうになります。そんな経験を皆さんもなさっておられることでしょう。寂しさ、悲しさつらさに負けそうになることもあります。又、そんな自分にいらだちをも覚えるでしょう。
 そんな時、もう一歩深く悩んでみて下さい。更にどん底に落ちます。でも、全くのどん底に落ちたその時が、幸せへの始まりとなります。
 み仏さまはこういう人をこそ救ってあげなければならないんだと仰って下さったんです。こんなどん底に落ちた者でも、救って下さる。何と有り難いみ仏さまでしょうか。
 回りを見渡せば、これまでに自分を支えてくれた多くの人達がいる。果たして、今まで、その人達に感謝をしたことがあっただろうか。何事も、自分に都合よいように勝手な判断をしてきたんではないか。しかし、そこに気がついた時、あなたの肩の重荷が下りているはずです。
 何事にも謙虚になる。これは、法然上人の仰られた愚痴にもどるということになります。謙虚さを持ち続けられれば、非常に幸せです。しかし、人はいつまでも底辺の気持ち、つまり謙虚でいることが難しいのです。調子がでてくるとつい、鎌首を持ち上げ、上へ上へとはいあがろうとします。人は、自分を高いところに置くと、優越感を持ち、横柄になってきます。又、欲望の火に油を注ぐようになり、不平不満が出てきます。そんなときは必ず阿弥陀さまのお誓いでありますお念仏をお唱えし、惨めな、どん底の自分を思い出すことをお勧めします。
 お念仏には、全てのお経のあらゆる功徳とみ仏さまのお慈悲が備わっていますから、自分の欲を鎮め、改めて感謝に満ちた自分を取り戻してくれるでしょう。そのお念仏がやがて、究極の心の平安へと導いてくれるはずです。
 
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