浄土宗神奈川教区テレホン法話 第692話

 10月となりますと各地の浄土宗のお寺では『お十夜法要』がお勤めされます。
 今から500年あまり昔、いわゆる戦国時代の頃ですが、世の中は打ち続く戦乱の最中で、庶民は生活に困窮し、まさに地獄の様相を現わしていました。時の天皇はいたくこのことを悲しまれて、一日も早く人々が安心して暮らせる平和と安泰を望まれました。その願いをこの『お十夜法要』に託されたのがこの法要の始まりです。
 それ以来『お十夜法要』は常に人々の生活の安穏を願う法要として、今日に至るまで続けられています。
 現在の我が国は戦乱もなく物質的にもたいへん豊かで表面的には平穏な世の中に見えますが其の実、人々は人間関係や経済的問題などの多くの悩みや不安を抱え精神的に行き詰っているように思われます。
 情報・科学・技術などが高度に発達した現代において人間は、全てのことを自分たちのカだけで成し遂げられると思いがちです。しかし、この世には人間のカだけではいかんともしがたいことが沢山あることにも気付かなければなりません。
 京都の百万遍知恩寺というお寺にお参りした方々はご存知のことと思いますが、浄土宗には『利剣の名号』が伝えられています。この『利剣の名号』というのは南無阿弥陀佛という漢字の全ての角が剣のように鋭く尖っていて、『南無阿弥陀佛』があらゆる災いを断ち切り、お念佛を称える私たちを守ってくださるということを表わしているのです。
 先日、朝のお参りをした後で子供が「どうして南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛って言うの?」と聞いてきました。
 「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛」というのは「ねえ阿弥陀様、ねえ阿弥陀様」という私たちからの阿弥陀様へのお呼び掛けなのです。「阿弥陀様どうか今日も一日私たちをを見守っていてください」というお願いの言葉なのです。そうすれば、毎日毎日を安心して暮らして行くことができるのです。

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