浄土宗神奈川教区テレホン法話 第705話

 最近の世相を嘆いて、私の子供の頃を思い出してみます。
 今から30年前、私は小学校の6年生でした。東京オリンピックが終わり、日本は高度経済成長の真ただ中でした。父は学校の教員をしながら、寺の住職をしていましたが、寺の収入だけでは、とても生活できなかったのが事実です。夏の棚経に檀家を回り、全ての家にTVが有る事を知り、我家にもTVという文明の波が押しよせてきました。
 洗濯機は、有るには有りましたが、足で蹴飛ばさないと動きません。母が洗濯板で洗いすすぎ終った服を、洗濯機に付いている、2つのローラーの間に入れ、グルリとカを入れてローラーを回し服をしぼります。無くなりかけた歯みがき粉のチューブもローラ-でしぼり出したりしました。
 風呂は五右衛門風呂、枯木や古くなった塔婆を燃してお湯を沸かします。初めに風呂に入る人は、少し高めの温度のお湯に我慢して
入らないと、最後の人までもちません。うっかり水を入れすぎてしまうと、外のかまどに薪をくベに行かなければなりません。冬は折角、温まった体がすっかり冷めてしまいます。
 トイレは、いいえ、便所はポットン便所。汲み取り屋さんがしばらく来てくれないと、よ<おつりをもらいました。そんな生活でした。
 昔から、物が豊かになると心が貧しくなると言われています。文明の発達によって、迅速に正確に、しかし大量に仕事をこなす事ができるようになりました。又、文字は人柄を表わす、とも言いまっすが、ワープロやEメールなどの発達により、文字に表われる、性格や心の琴線の変化を感じ取る事ができにくくなりました。それは同時に、人間関係の希薄につながると思います。どんなに物が豊かになって、便利になっても、物を通しての思いが相手に伝わらなければ、無意味だと思います。何故なら、人間と人間、人間と動物や自然、そしてあらゆるものとのふれ合い。つまり社会は縁によって成り立っているからです。

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