浄土宗神奈川教区テレホン法話 第774話
暦の上でも大寒を迎え、一年の内でも一番寒い季節になって参りました。とはいえ、来るべく春の息吹がなんとなく感じられ始めるのもこの時季です。今月の二十五日は浄土宗を開かれた法然上人のご命日、今から約790年前の建暦二年一月二十五日、上人は80歳でお浄土にお帰りになられました。そのご入滅の二日前に、ながねん心中に思われていたことを一枚の紙に僅か320字足らずにまとめ綴られたのが『一枚起請文』というご遺訓です。
この中、上人は「只一かうに念仏すべし」と私たちに強く呼びかけておられます。「念仏する」とは「南無阿弥陀仏」と声に出してお称えすることにほかなりません。阿弥陀仏様は仏になる以前、法蔵菩薩という菩薩様でらっしゃいました。その時に「もし自分が仏となったら、このようなことをしてすべての人を救いたい」と五劫という長い時をかけてお考えになられ、四十八の誓いをたてられ、さらにその願いをなしとげるべく、これも長載永劫という長い間修行せられた結果、仏になられたのが阿弥陀仏様です。私たちが真実・誠の心をもって「阿弥陀仏様のお慈悲のみこころにお従い致します」という思いを込め、「南無阿弥陀仏」とお称えする時、私たち、大きな功徳を頂戴させて頂くことができる訳ですが、ひとつには今申し述べましたように、阿弥陀仏様が尊い誓いを成就すべく修行をせられた結果、仏になられたことから生ずる功徳と、もう一つは阿弥陀仏様の性質が、常に私共を救おうと働きかけておられるところから生ずる功徳です。しかも阿弥陀仏様は私たちが「南無阿弥陀仏」とお称えする声を今か、今かとお待ち下さっているのです。こんなにも有り難いことがありましょうか。
阿弥陀仏様のみこころをご自身の心とされている法然上人のご命日を迎え、上人のお示しくださったお浄土への道を違うことなく歩んでゆけるよう、この寒中、決意もあらたにともども精進して参りましょう。