浄土宗神奈川教区テレホン法話 第775話
お彼岸
お彼岸には、春秋の彼岸があります。春分と秋分の日を中日として、その前後3日に渡る1週間を言います。彼岸中には、多くの方が、お墓参りに見えます。寺では下陣に棚を作り、彼岸だんごやおはぎを供えます。
春分の日は「自然をたたえ生物を慈しむ。」と言われます。一方秋分の日は「先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日。」と言われます。自然の摂理に基づいて、春分の日を「希望の日。」秋分の日を「追憶の日。」とも言います。
彼岸会を『観経疏』では、二河白道の譬えで説明しています。
その譬えによると、はるばる西を目ざしてやって来た旅人の前に二つの河が現れます。一つは火の河で南に、もう一つは水の河で北にあります。そして火の河と水の河の境目には、狭い一すじの白道がありました。東の岸から西の岸にかっています。旅人はその白道をわたりかけますが、水の河の波が打ち寄せてその道をぬらし、火の河の炎が絶えずその道を焼いています。ところが、東の岸に引きかえそうとすると悪者、野獣が争って向かって来ます。旅人は進退きわまった時思いがけなくも、東の岸からは、進めと励ましの声、西の岸からは迷うことなく渡れと呼ぶ声がします。又この道を戻って来いという悪者、獣の声をふり切って西の岸に着くことができたのでした。
東の岸からの声の主は釈迦仏、西の岸から呼ぶ声は阿弥陀仏を顕しています。東の岸とは、現世(此岸)であり、西の岸とは極楽(彼岸)を指しています。
このように彼岸とは生死流転の此岸から涅槃の彼岸に至るという「到彼岸」を言います。
当山では、多くの方がお中日にお墓参りに来られます。
お念仏をお称えして、少しでも彼岸に近づきたいものであります。