浄土宗神奈川教区テレホン法話 第798話
前回、彼岸の修行方法である六波羅密のことをお話ししました。今回は、その六波羅密の中の「布施」についてお話しします。 布施というと法事の時の御礼と思われがちですが、布施にもいろいろなものがあります。私たち僧侶がお経を唱えたり、法話をしたりすることを法施といい、これも布施の1つです。布施といラと何か堅苦しく聞こえますが、そんなに難かしいことではありません。布施とは、見返りを要求しない一方向のしてあげられることをいいます。我々人間は、欲があるので、何かしてあげると、地位や名誉や金銭等の見返りを期待してしまいますが、布施とはそういうものではありません。よく世間で言われているボランティアということと同じです。自分の為ではなく、人の為になることならば何でも布施ということになります。以前テレビで、指1本のボランティアというのを見た方もいらっしゃると思いますが、エレベーターのボタンを押してあげるだけでも、布施になるのです。道を譲ってあげたり、困っている人を助けてあげたり、ゴミを拾ったり、道を清掃したりすることも立派な布施です。
これ以外にも無財の七施という私たちが何も持たずにできる七つの布施があります。
1つ目は、人に良い目をして接すること、2つ目は、いつも優しい顔で微笑を絶やさず人に接すること、3つ目は 柔らかい言葉で人に接すること、4つ目は、礼儀正しく人に接すること、5つ目は、善心で人に接すること、6つ目は 他人に席を譲ること、7つ目は、人を家に泊めてあげることであります。
これらは、目・顔・言葉・身・心等で表わすことで、簡単にできることに思えますが、なかなか長続きしないものであります。これらの布施は、相手の人が穏やかで良い気持ちになれる様に態度で表わすものです。これからは布施の心を持って、穏やかな目をして、にこやかな顔で、優しい言葉を使いながら、礼儀正しく生活していきましょう。