浄土宗神奈川教区テレホン法話 第821話

 前回は、仏教が私たちに幸せをもたらしてくれる教えであるということをお話しましたが、ではその第一歩はどこにあるのでしようか。
 お釈迦さまは、まず「それは『自分を知る』ことですよ」とおっしゃいました。
 最近私たちは時間や仕事に追われ、自分を振り返ることが少なくなりました。
 自分を知るということは、ただでさえ大変なことです。自分自身を考えても、優しい面もあれば冷たい面もありますし、穏やかな面もあればきつい面も持ち合わせています。
 さあどっちがほんとの自分なのかといわれても、どちらとも決めかねますし、又、どちらも自分なんですね。誰しも相反する二面性を持ち合わせています。年とともに考えや性格も変わってきますし、能力も変わってきます。
 また、突発的事態に出会った時など、自分がどのような行動をとるのか予測し難いものがあります。自分が分からないというのは本当に恐ろしいことです。
 いずれにしても、自分がどのような自分であるかその本質を見極めるということが必要なことでしょう。
 自分を知らなければ、自分をコントロールすることが出来ませんから、幸せに向けて歩くことなど出来ないからです。
 ところが困ったことに、人間はいつも気持ちが揺れ動いています。
 法然上人は、人の心は、枝から枝に飛び移るサルのようだとたとえられました。落ち着かないんですね。つかみ所がないんです。心を落ち着けようにも、いうことを聞きいてくれません。自我というものが、欲望に任せて一人歩きをしてしまうんです。
 ではどうしたらいいんでしょう。次回お話したいと思います。

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