浄土宗神奈川教区テレホン法話 第829話
『生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん
とてもかくてもこの身には 思い煩ふことぞなきと思ひぬれば 死生ともに煩ひなし』
という法然上人のお歌があります。
生きているあいだはお念仏を称えてその功徳が積もり、命尽きたならば極楽浄土に参らせていただきます。いずれにしてもこの身にはあれこれと思い悩むことなど無いのだと思ったならば、死ぬことにも生きることにも、何ごとにも思いわずらうことはありません。という意味であります。
先日、三十半ばの男性が仕事帰りに交通事故で亡くなられました。朝、奥様とまだ一歳のお子様に元気に「行って来るよ」とでかけ、夕べには帰らぬ人となってしまいました。奥様やご両親の悲しみはとても深くつらいものでした。
人間にとって死は大きな問題です。生を受けたからにはいやだと思っていても、必ずいつの日か死を迎えなければなりません。そして、その死は、今の話のようにとつぜんやって来るのです。
法然上人は、そのような死生のわずらいをお念仏の生活ですべて取りはらわれたのです。
お念仏を称えることで阿弥陀仏の本願により、死後は極楽浄土へ生まれさせていただきます。極楽浄土で先に往生なされた方々との再会をはたし、また残してきた方々ともやがて会うことができる、決して孤独ではありません。生きている間のわずらいも阿弥陀仏の慈悲の光で雪が陽にあたって溶けるがごとくいずれ消え去っていくのです。生ある今は、阿弥陀仏の本願を心から信じ、ただひたすらにお念仏を称え、死生ともにわずらいなしの生活をおくりましょう。
合掌