浄土宗神奈川教区テレホン法話 第861話

 みなさんお元気でお過ごしでしょうか?
6月のテレフォン法話を担当いたしております川崎の正受院住職の朝倉和信と申します。
 先日、筋ジストロフィーで亡くなられた中学三年生の少年の法要を務めました。
 法要にはバスケットボール部の仲間や同級生が大勢参列し、大きな声で念仏をとなえていました。
 法要後、ご両親から遠足や部活動の写真を見せていただいていると、お母さまが
 「最初はこんなふうにうちの子供がみんなと同じように遠足に行けるとは思ってもいませんでした。
  本人もあきらめていたんです。でも小学三年生の遠足の朝、突然、子供の友達が迎えに来て遠足に連れて行ってくれたんです。
  帰って来るまでハラハラしました。しかし、そんな心配もよそにお友達と元気に帰ってきたんです。
  そのうれしそうな顔を見て、お友達に『今日はみんなにいろいろと迷惑をかけたね。本当にありがとう』とお礼を言ったんです。
  そうしたら、逆に『おばさん、何言っているの。そんなの当たり前だよ。だって友達だもん!』と怒られたんですよ。
  しかも後で、うちの子供が遠足に行ったことがないことを知った子供たちが自発的に車椅子の子でも通れるルートを事前に現地へ行って調べてくれたことを聞いたんですよ。それから毎年そうしてくれているんです」と話してくれました。
 最近、困った時に誰かに助けられて「当たり前」と思う人が多くなったと聞きます。
 でも本当は助けられる側が「当たり前」ではなく、この子供たちのように助ける側が「当たり前」だったようです。
 阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」ととなえる者をもれなく救って下さいますが、私たちも「それが当たり前だと思ってはいけません」。 
 しかしそんなことを言っても阿弥陀さまは、お念仏をとなえる者を救うこと、「そんなことは当り前のことです」とおっしゃるでしょうけれども……。

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