浄土宗神奈川教区テレホン法話 第867話
皆様今日は。テレホン法話8月の担当は神奈川教区教化団副団長の落合と申します。
今回は「愛別離苦を乗り越え前向きに生きる」と言う話を致します。私の小学校時代の同級生に何代か続く病院の院長がいます。小学校時代のクラスメートしのぶさんと結婚し、二人のお嬢さんに恵まれ幸せな生活をしていました。私たち同級生は時々集まって編み物や手芸等の趣味の会を持っています。院長さん一家の長女は、やがては病院の跡継ぎになるため医学部を卒業、医師国家試験も合格し実家の病院で働いていました。
誰の目にも「恵まれた一家」に見えましたが、ある時不慮の事故に会い跡継ぎの娘さんは、帰らぬ人となりました。一家の嘆き、悲しみは深く、慰めの言葉も失うほどでした。
どんなに悲しくても、病院は長いこと休診する事は出来ません。院長さんは悲しみを打ち消すかのように一所懸命患者さんに接しています。三ヶ月経ち、半年経ち、と月日が流れても母親の悲しみは癒せません。同級生が交代で訪ねて慰め、また食事会に誘い出しても、音楽界に誘っても楽しい顔をしません。
同じように子どもを事故で亡くした友達が、「悲しみを分け合いたい」と言葉を掛けても「娘が死んだのに私が楽しいことは出来ない」の一言。病院長夫人として生きいきしていた時には美しかった人なのに、お化粧をすることも忘れて、まるで病人のようです。同級生が「口紅位つけると良いわよ」と言えば「私の娘は死んじゃってお化粧なんか出来ないのよ、母親の私が口紅なんかつけるわけには行かないのよ」と答えます。
一年半経っても明るさを取り戻しません。私は時々電話で話をしていましたが、同級生達もだんだん付き合うことが負担になり趣味の会のお誘いも遠退いてしまいまた。亡くなったお娘さんの三回忌が近づいたある日、私は彼女の家を訪ねました。彼女は「この頃友達が来なくて寂しい」と言います。実は彼女自身友達に声を掛けてもらえなくなった原因を理解していたのです。そして友達の居ない寂しさを感じていたようです。「母親がこんな状態だと娘も成佛出来ないわね」と言いながら、「ちょっとトンネルが長かったけど皆さんに元気を貰って頑張るわ。」と少し晴れやかな表情になりました。私はほっとすると同時に思わず合掌していました。窓の外では夏休みの最後を、楽しむ子供達の歓声が聞こえます。
今回は「愛別離苦を乗り越えて前向きに生きる」と言う話をしました。
ありがとうございました 。 南無阿弥陀佛