浄土宗神奈川教区テレホン法話 第886話
長い歴史を持つこのテレホン法話の中でわたしたちの生き方を、さまざまな人が、さまざまにお話しされています。
今回のお話はひとりの詩人が読んだ詩を紹介してまいりましょう。
「朝咲く花のあさがおは、昼にはしぼんでしまいます」
「昼咲くはなのひるがおは、夕方しぼんでしまいます」
「夕方咲くゆうがおは、朝にはしぼんでしまいます」
みんなみんな短命です。けれども時間を守ります。そしてさっさと帰ります。どこかへ帰ってしまいます。
この詩は大正から昭和にかけて生きた三好達治が読んだ詩です。
精一杯咲き誇り、懸命に限られた時間を生きたその命、終えて帰る一輪の花。
この詩を読んだ時、わたくしたちがいただいているところのお念仏の教えに思いをめぐらせます。
限られた時間は尊いこのいのちを戴いた、生かされているところのわたしたちとて同じです。
その限られた時間をどう過ごし、今をどんな風にして生きればいいか。いのちがしぼむとき、その時がきたらお浄土に参りたい。
わたしたちにはお念仏によって帰れる場所、お浄土があります。
わたしたちの人生は咲き誇る素敵な花のような一生でありたいものです。
この限られた大切な時間をあなたはどう使いますか、そしてその時を迎えたとき迷子にならぬよう、行くべきところ、帰るところがどこなのかわからなくならないようにしたいものです。