浄土宗神奈川教区テレホン法話 第893話
テレホン法話で何をお話ししようかと考えますと毎回この事ばかりが心にかかって常に気になります。
私どもは「こころがける」という言葉を使いますね。
いわゆる心に掛けるということで、常に心に留めておくという意味で使っております。
日常では1つのことをずっと思い続けることはなかなかできませんが心にかけておくと、すぐ思い当たったり思い出せますし、それを続けているといつでも思い続けることができます。
私は学生時代、日本古代史を専攻し卒論を書く時テーマを古代の倉としました。
いつでも倉のことばかり考え文献にあたっていますから、街を歩いていても家の表札に倉田さん倉橋さんなど見てはどきっとしていた日々を思い出します。
常に倉を心にかけていたのですね。
お念仏のみ教えをお説き続けられた法然上人は、自ら阿弥陀仏を思い、そのお会いしたい気持ちを持ち続け、そのお心を歌に表して下さってます。
「われはただほとけにいつかあふひくさこころのつまにかけぬひぞなき」私、法然はただひたすらにいつの日か阿弥陀様にお会いするという事を葵をものの端に掛けて飾ったりする様に、あなた様のことを心の端に掛けて思わない日などないですよという意味になりましょう。
常に阿弥陀様のことを心に掛けておく。
これが上人の毎日の生活であったでしょうし、私どもへのお諭しです。
阿弥陀様と離れず過す、この事こそが阿弥陀様を心に掛けるという事なのです。
そのためにも、ただ一向に念仏すべしと教えられるのでありましょう。