浄土宗神奈川教区テレホン法話 第895話
先日、お寺で可愛がっていた猫のチャトランが、交通事故で死んでしまいました。
お寺に来てから5ヶ月、わずか8ヶ月の生涯でした。
近所の方もお線香を上げにきてくださるほどの人気者でした。
家族同様にかわいがっていたので、私どもは大変悲しみました。
悲しみが少しずつ癒えてきた1週間後、私はいつも通り、境内の見回りをしておりました。
気がつくと、ここ1週間でずいぶん草が成長していました。
草を見ながら、ふとこんなことを考えておりました。
(そういえばチャトランは、暗いところや、高いところも好きだったけど、草や花も大好きだったなぁ・・・。)
そう思うと再び悲しみがこみ上げてきました。
さらに、
(チャトランはこの緑を生涯一度も見ることなく、この季節を一度も経験することなく逝ってしまったんだなぁ。見せてあげたかった。こんなに輝いているのに。)
私はその時ふと気がつきました。
いつも見ている草が今日は特別輝いて見えるのです。
(今までなぜ気がつかなかったのだろう。この季節を何度も経験しているのに。)
そうです、チャトランが私に身をもって教えてくれたのです。
(いつも僕が見ていた草や花はこんなに輝いていたんだよ)と。