浄土宗神奈川教区テレホン法話 第925話
鎌倉正業寺 渡部俊賢
4月8日は、お釈迦様がお生まれになった日「花まつり」であります。宗派を問わず、多くの寺院でお祝いしますから、ご存知の方も多いと思います。
その一日前の4月7日は、浄土宗をお開きになった法然上人がお生まれになった日です。
法然上人は、今で言うと岡山県、美作の国久米南条稲岡の庄に生まれました。父は漆間時国、母は秦氏といい、父時国は押領使という役に就いている武士でした。今で言うと警察署長と税務署長をかねたような仕事であります。夫婦には、なかなか子どもが授からず、神仏に祈願してやっと授かった子が、後の法然上人、幼い頃の名前「勢至丸」でありました。
小さい頃から聡明であった勢至丸に不運が訪れたのが、勢至丸9歳の時でした。
父である時国は、以前からいさかいのあった稲岡の庄の預かり所である明石源内定明の夜襲にあい、深い傷を負い、帰らぬ人となってしまうのです。時国は、亡くなる直前に9歳の勢至丸に向かい最後の言葉を告げます。「かたきを憎んであだを討つようなことはしないでくれ。父が非業の死を遂げるのは私にも原因があるのでしょう。もし、あなたが定明をかたきと思いあだを討っても、次はあなたが定明の子どものかたきとなります。いつの世になっても恨みが消えることはありません。だから、勢至丸、あなたはお坊さんになって、父が死んだ後、父の幸せをも祈り、あなた自身も迷いを離れて救われる道を探しなさい。」といわれたのでした。
勢至丸は武士の子ですから、当時はあだを討つことが当然のことでした。しかし、この父の遺言ともいえるこの言葉が耳から離れることがなかったのでした。
非業の死を遂げた父、多くの人がこの苦しみの世界で救われずにいる。すべての人が救われる道とは。法然上人が、命がけで修行されたのも、この父の言葉があったからでありましょう。
9歳で父を亡くした勢至丸はこの後、母方の叔父が住持している菩提寺というお寺に入り仏の道を学ぶこととなります。
すべての人が救われる道、お念仏の御教えを選び取られるまでには長い時間がかかりました。
次回は4月11日にお話がかわります。